2011年1月17日月曜日

Exchange Program, University of California Davis, Ryo Fukazawa (深澤 亮)


初めましてUniversity of California, Davis Department of Chemistryに交換留学中の深澤亮です。現在Kurth GroupのUndergrad Researcherとして、こちらの研究室に所属しています。


大分更新のテンポを遅らせてしまいました…申し訳ないです。
「山のカミ」というよりはむしろもう「山のゴミ」とでも呼んでください。


僕は他の方よりも1クォーター短いので、今年の3月には日本に戻ります。アメリカに居ながらこのブログを書くのは最初で最後になるかと思います。自分の備忘録も兼ねて、以下のようにまとめました。


今までのを見てきたら、そこまで真面目な内容でなくてもよさそうだったので(笑)適当な部分もあります。少し長くなってしまったかも知れませんが、一部分でも読んでいただければと思います。





[1]はじめに 1-1自己紹介 1-2デービスについて 1-3動機
[2]スケジュール 
[3]生活一般 3-1家 3-2食事 3-3友人 3-4アクシデント
[4]学校での活動 4-1授業 4-2研究室
[5]とりあえずまとめ  





[1]はじめに 


まず自分がどういう経緯で交換留学を志望したのかということを、簡単な自己紹介からはじめて行こうと思います。 

1-1自己紹介 


僕の亮(りょう)という名前を英語表記するとRyoとなり、「リィオゥ」と呼ばれます。なので自分で紹介するときも「リィオゥ」というようにしています。 


いつだったか、病院で診察室に呼ばれるときに「ライオ」と呼ばれることがあり「本当はリィオゥっていうんだよ、てへ」と優しく爽やかに訂正してあげたことがあります。しかし「どうでもいいからさっさと診察室に行けや」という感じで適当にあしらわれたので、思わず「Sh*t(訳:くそっ)」と自分だけに聞こえるように(この辺りが小さい)苦虫を噛んでしまいました。


普段はうまくしゃべれないくせに、こういうときは本当にすらっと英語(と言えるのか…?)が出てきます。ちなみにこの面白さは「え、あのおとなしくてまじめそうな深澤、あるいは深澤さん、あるいはフカポンがそんなこと言うんだぁ」というところにあります。 


小さい頃は東京・横浜・名古屋といくつかの土地に移り住み、最終的に静岡で中学・高校時代を過ごし、東北大学に2007年に入学しました。旅行では海外に行ったことがありましたが、留学するなんてことは他人事のように感じていました。 


しかし2年生(2008年)の夏にSilicon Valley Program(どうやらこのプログラムは打ち切りとなってしまったようですが…)というベイエリアの大学や企業を訪問するというプログラムに参加することができ、その時にこの交換留学という制度を知ることになりました。

SFSUの学生と食事
Intel見学

1-2交換留学を志望した動機 

留学にもいくつかタイプがありますが、交換留学は大学が関与していて、毎年何人も海外に行くプログラムなので、何かとサポートがしっかりとしているのではと思ったからです。そして、お金はなるべくセーブして海外に行きたいということで、国からの奨学金をもらって1年分の学費に当てようと考えました。


2,3年生の頃から漠然と有機化学を専攻したいということが頭にあったので、化学で有名そうなUC系の大学に行ってみたかったということです。専門的な知識がそこまである訳もなく、イメージ先行で決めた部分はあります。Berkeleyは点数が届かなかったのでやめ、Davis, San Diego, Los Angelesを出し、選考の結果Davisとなりました。

英語の力を伸ばしたいということはもちろんありますが、自分としてはむしろ、日本に居ながら身につけた英語力でどれだけやっていけるのか、ということに興味がありました。そして結果的に英語力が上がっていれば良いな、という気持ちでいます。



1-3デービス
 
UC Davisはサンフランシスコから北に車で1.5時間くらいのところに位置するキャンパスで、UC Systemの中では一番北にあります。 
ダウンタウンがキャンパスの近くにありますが、友達と食事に行くくらいで、基本的には行きません。


アメリカでは珍しく人々は自転車に乗って移動しています。デービスでは必需品と言えるでしょう。


キャンパス内のバイクサークル 
ファーマーズマーケット

                  
バスで1時間程のところには、カリフォルニアの州都サクラメントがあります。しかしこのサクラメントは大して観るところは無いので、買い物となるとやはりサンフランシスコになるのではないでしょうか。

     
State Capitalの前で
サクラメントをサイクリング

静岡で育ち、仙台から来た僕から見ても、この町何もないなぁと思うくらいですから、東京から来た人なんか相当ショックを受けるのではないかなと思います。 しかしというか、だからというか、街は安全・静かで住みやすいので僕は気に入っています。

詳しいことについてはDavis wikiというサイトにありますので、興味があれば検索してみてください。


[2]スケジュール

留学が始まってから今に至るまでの予定・出来事を時系列に並べると以下のようなスケジュールでした。


渡米前はTUSP/TESPのボランティアをしたり、韓国で行われたAEARU Summer Camp 2010 にも参加したりしました。留学をせずとも、海外に行ったり、海外の学生と触れ合う機会はたくさんあります。


この中からいくつか選んで、下に説明していこうと思います。




AEARU Summer Camp

8月 
・TUSP/TESP 2010ボランティア
・AEARU Summer Camp 2010 

・渡米 

9月
・家探し
・研究室探し
・Fall quarter開始 

TESPボランティア

10月
・研究室生活スタート
・Midterm1

11月
・Midterm2
・キャッシュカードの破壊
・交通事故

・落雷による停電
   
Boston Legal Sea Foods
12月
・Final
・2週間ほど冬休み
・ハウスメイトの引っ越し
・ボストン、ニューヨーク、シアトル旅行




1月
・新たなハウスメイトとの入居 

・Winter quarterの開始 
・Midterm1


[3]生活一般 

基本的に学校で1日過ごしています。家が学校に近いので、朝早い授業でも結構ぎりぎりまで寝ていられました。今クォーターは自由な時間を作ろうと、授業数を減らしました。前クォーターは、朝授業に行く前に研究室によってかばんを置き、授業を受け、午後の時間を使って実験をするという生活をしていました。週によってまちまちですが、時間を見つけてARCという学生ジムでランニングをしています。                                                   
       
今住んでいる家
学生ジム ARC
3-1家 

今住んでいる家は大学のキャンパスにとても近く、自転車で3分くらいのところにあります。ハウスシェアをしていて、年末年始に何人か同居人の入れ替えがあり、今はUC Davisに勤めるアメリカ人、UC Davisの現地生、UC DavisのExtension Centerで勉強しているチリ人とブラジル人の4人が居ます。皆常識的な人たちで、生活する上で全く支障はありません。

UC Davisに交換留学の場合、寮に入れる可能性が低く、大抵の場合自分で家探しをしなければなりません。はじめは日本に居る間に、連絡を取って決めてしまおうと考えていたのですが、うまい具合に話が進まず、最終的に1週間ほど滞在できる仮住まいで過ごしながら、今住んでいる家を見つけました。



部屋にこもってCraig’s listで物件を必死で探し、メールと電話で連絡を取り、実際にその物件を見に行く、という作業の結果こぎつけました。結果的には、メールで連絡を取るだけよりも実際にその物件を見て、管理人の方と会って決めて良かったと思っています。 

留学生活はこの部屋から始まった

3-2食事

はじめのクォーターは、食材を買って自分でサンドイッチを作って学校に持っていったり、カレーを作って食べたりしていましたが、最近は全く料理をしていません。面倒なので、学生食堂のハンバーガーかピザを適当に食べて過ごしています。はいそうですね、残念な食生活ですね。

甘いものが好きで、チョコレートやピーナツバターは特に好きです。アメリカにはスニッカーズだけでなく様々なチョコバーが売られており、毎回見るだけでも楽しいです。あまりにもチョコが好きで、一日に食べられるだけ買って食べつくしたら、体中にジンマシンが出てしまい、それ以来食べるのを控えるようになりました。また食事を簡単に済ませようと、Skippy(ピーナツバターのブランド)とイチゴジャムをスプーンですくって食べる時期もありました。「この人馬鹿じゃないのか」と思ったそこのあなた…その通りだ! 

1週間に1kg食べたこともあった
飲み物は基本的にコーヒーとコーラのどちらしか飲んでいません。日本のようにコンビニがあまりなく、あっても自分の飲みたい物がないせいで、あまり他の飲み物を買う気にならないんです。


最近気づいたのは、ちょっと美味しい飲み物を飲みたければStarbucksやPeet’s coffeeに行って飲むというのがこちらの慣習なのかな、ということです。Starbuckは日本のお高めな印象はあまりなく、スタバのカップを持って歩く人の姿をよく目にします。

という感じで、食生活は気をつけないと僕のようになってしまいます。でもまぁこれは、アメリカに来たからというよりは個人的な食生活の欠陥あるいは病気みたいなものですね。体重計が無いので分からないですが、ここ最近少し太ったかなと感じています。

3-3友人 

ハウスメイト、研究室のメンバー、同じ授業を取っている友達、チューターをしている日本語授業を取っている友達が居ます。食事を一緒に食べたり、誘われたパーティーに行ったりしています。こういう友達と居る時の方が、気持ち的に英語も喋りやすいし聞き取りやすいです。

車が無いので、遠くに買い物に行くときはハウスメイトに乗せてもらっています。アメリカは車検が無いため大分傷出を負った車も走っています。特にハウスメイトの車はヘヴィ級で、80年代のTOYOTA Camryで、フロントガラスにひびが入っています。あとマニュアルカ―で、3速に入れる時はいつも「グギッ」と音がします。
 
またTUSPのボランティアで知り合ったUC Berkeleyの友達とも連絡を取り合って、遊びに行ったり来たりしました。 

       
オークランドFenton's ice creamにて
アメリカンフットボール観戦

3-4アクシデント 

自分が予期せぬことは起こるもので、キャッシュカードがATMに飲み込まれたり、落雷で停電したりと、去年の11月は自分にとって厄月でした。


中でも困ったのは自動車との接触事故でした。キャンパスに行くときは大きな通りを渡るときに、走行中の車に後輪をぶつけられ転びました。普段だったら止まってくれるよな、というタイミングで渡り始めたのですが、全くスピードを緩めず60マイルくらいの勢いで進んできました。


名前と携帯の電話番号、事故の目撃者の名刺を揃えたのですが、ある理由で警察への連絡が遅れ、加えて運転手のF*cking asshole (訳:控えめに言ってク○野郎)に番号を即座に変えられたため、責任追及をすることができなくなってしまいました。骨などに異常はなく、治療費、新しい自転車、その他破損した小物も合わせて$200くらいだったので大したことではなかったのですが、非常に不愉快でした。 

あくまでイメージです
事故の写真や状況をまとめたものをファイルにして、警察に事情を話しに行ったのですが取り扱ってもらえず非常に残念な思いをしました。


こっちが必死で事故の様子を説明している時に、警察官の胸ポケットから「Guess who~♡??(訳:だぁ~れだ♡??)」と着信音声が聞こえてきて、あわてて「Oh sorry(訳:おっと、ごめんね)」とスイッチを切った時には怒り心頭で、口ひげをむしり取ってやろうかと思うくらいでした。それにしても、本当にマンガみたいにいいタイミングでしたね。ちなみにこの面白さは「え、あのおとなしくてまじめそうな深…(略)です。


後で考えてみると、なんであんなにいかついおっさんが、あんな着信音にしていたんだろうと不思議に思います。

[4]学校 

アメリカの研究室を体験してみたかったので、Undergrad Special Researchというコースを利用して、Kurth Groupに所属させてもらっています。

4-1授業 

「O chem(訳:有機化学)のUpper Division(CRN100以降)のクラスは難しいよ」と言われていたのですが、2クォーターしかなく取れる授業も限られるので、思い切って履修する化学の授業は全てUpper Divisionにしました。

2つ取った授業のうち、一つはある程度既習済み、もう一方は内容があまり予測できない、という感じでした。ただやってみるとそこまで苦にではありませんでした。というのも化学式が分かればだいたいテストは解けるし、文系の授業のようにリーディングの課題が課されるという訳でもなかったので、むしろ楽だったのではないかとさえ思っています。

今クォーターは、研究室のメンバーがTAをやっているということもあり、大学院の授業に挑戦しているところです。

海外で日本語がどのように教えられているか興味があったので、日本語クラスのチューターをしています。週に2時間の授業
アシスタントと1時間のチューター室での仕事をしています。ここでできた友達と遊ぶことが多いです。 
MUのカフェテリアにて
     
4-2研究室 

Undergrad Special Researchは研究室の教授の同意を得て、留学の期間、大学院2年生のWayneに付いて、彼の研究のアシストをさせてもらうことになりました。実験とはいうものの、他に授業を履修しながらなので、日本に居る学生に比べれば非常に作業量は少ないですが…

はじめの頃は分からないことだらけでしたが、辛抱強く何度も説明してやり方を教えてもらいました。大分効率的に悪いと思うのですが、丁寧に扱ってもらいました。

毎週月曜日にミーティングがあり、週報告をしたり、QE(大学院2年生が受ける口頭試験)の練習をしたりしています。担当の人が飲み物とスナックを持ってきて、それをポリポリつまみながら発表を聞いています。
 

グループミーティングにて

いかにもって感じの写真

実験室での発見はいくつかありますが、その中でも驚いたのは試験管やピペットといったガラス器具の扱いです。日本ならば使用した後には洗浄して再利用するところ、一度使ったらすぐにぽいっと捨ててしまいます。初めて研究室に来て、ガラス管をガチャガチャ捨てているところを見た時は、あんまりびっくりしたので「Really?」とかではなく「え、マジで?」と日本語がでました。 

また実験台の上にはスピーカーが置いてあり、だいたい実験するときは何かしら音楽をかけています。大体の場合、彼らはロックやパンクといった音楽をかけるので、その騒音の中作業をすることが多いです。時々、曲をチョイスしては「これだよな*ニヤリ*」みたいなやり取りがあるんですが、あまり僕にはピンと来ず「知らんがな(訳:知らないよ)」という感じです。 


ただやはり専門の知識・技術が圧倒的に拙く、また自分の知りたいことをうまく聞けないという歯がゆさはだいぶあります。 


[5]とりあえあずまとめ 

さて、ここまで読んでくれた方、もしくははじめの目次だけ読みPageDownを押して、一気にここまで来てくれた方、いずれにしてもこの項目にアクセスしてくれてありがとうございます。 


多少のトラブル・アクシデントはありましたが、家はキャンパスに近く、研究室の一員として活動することもでき、友達にも恵まれるという状況は、自分の望んでいた留学の形そのものです。このような機会に恵まれたことをとても嬉しく思っています。 

問題の英語力に関してどうか、の質問に対しては、確かに変化はあったという感じです。僕の取っていた授業ではリーディングの宿題も無いし、英語で専門的な内容を詳しく説明する問題も多くなかったので、読む力書く力の伸びは感じません(正直な所、読み書きをそこまでしてないので、伸びたも縮んだもわからない)。


ただ毎日英語を使って生活しているので、慣れてきた、親しみやすくなった、気持ちが言葉に乗るようになったという感覚はあります。TOEIC・TOEFLで何点分くらい伸びたかは言えませんが、こういう感覚が身に付けば、自然と点数も上がるのではないかなと思(願)っています。 

こうやって書いてみると割かし整った筋書きですが、実際にその時に体験しているときは全く先が見えない不安でいます。これから留学を目指す人がこれを読んでいたならば、経験者と連絡を取って話を聞いてみると良いと思います。


僕も先輩に話を聞かせてもらい、今回の留学のプランを考えました。大抵の場合、経験者の意見を聞いて自分のプランを考えているのではないかと思います。


また基本的に経験者の方々は自分の体験を進んで共有してくれる人が多いと思いますよ。そうですよね、皆さん(笑)??僕もそのうちの一人なので、興味があれば連絡してくださいfukazawa@ucdavis.edu。
それではお付き合いいただきありがとうございました。


次はAEARUつながりで、ヨーロッパの将太かサンディエゴの草刈がいいかなと思っているのだけれど、どうだろうか。






3 件のコメント:

  1. なんかスゲー。
    めっちゃ留学っぽいっす(笑)

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  2. >Takahide Shit lol
    >Wassy いいとこだけまとめて書きましたw

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